無名の存在からNBAまで駆け上がった異色の選手。

 

異色の選手である。NBAのトッププレイヤーの多くは、高校時代から名を馳せ、

ケンタッキー大やデューク大といった、バスケットの強豪校で1年だけプレイしてから、

NBA入りするパターンが少なくない。

 

しかしポール・ジョージの場合、バスケットを本格的に始めたのが

高校に入ってからということもあって、高校時代は無名。

ESPNが発表する高校生のトップ100にも入らず、「ライバルズ150」という、

やはり高校生を評価するサイトでも、150位以内に入っていなかった。

 

結局大学は、引退したアレン・アイバーソン(シクサーズほか)らが

プレイしたジョージタウン大などから、特待生としての誘いがあったというものの、

カリフォルニア州立大学フレズノ校(通称フレズノ州立大)という、

マイナーな大学へ進学している。

 

通常、これはNBAを目指す選手にとって不利に働く。

名門大学でプレイすれば、スカウトも多く訪れ、彼らの目に留まるが、

フレズノ州立大では、それも限られる。

また、強豪大学との対戦も少ないため、実力の評価が難しい。

 

ただ、この回り道が、結果的には彼にとってはプラスに働く。

プレイ経験の少ない彼は、出場機会がどの程度あるかを大学選びで考慮。

フレズノ州立大では、1年生からレギュラーとなる可能性が高かったことから、

同大学への進学を決め、予定通り1年生からレギュラーとなると、

2年間、貴重な経験を積み重ね、そのままドラフトの順位を上げていったのだった。

ポール・ジョージ さらなる高みを目指す異色の成長株

 

 

本格的にバスケを始めたのは高校から。

それにも関わらず、NBA選手になれたのは彼が自分を生かせる環境を選んだからです。

 

もし、強豪の大学に行っていたら、試合に出れず、

上手くなるために一番大事な試合の経験値を積めなかったかもしれない。

そしたら、NBAのドラフトにも引っかからなかったかもしれない。

 

強い大学に行って、あまり試合に出れないくらいなら

レベルは落ちるかもしれないけど自分が出れる大学に行く。

 

結果論かもしれませんが、その選択が彼のバスケ人生を大きく左右しました。

 

僕自身、大学のときに試合に出れず。

レベルは落ちるかもしれないけど、クラブチームでプレーするようになって

上手くなるスピードが段違いに上がった。

 

環境のせいにするなっていうのは良く言われることですけど。

環境を変えれば、開花するというのも否定できません。

 

NBA選手だって、チームに合わずにくすぶっていた選手が

トレードされた瞬間、水を得た魚のように活躍しだすっていうのは良くある話。

 

自分が生きる場所、強みを発揮できる環境というのは人によって違います。

 

 

ウォーレンバフェットも

 

成功できたのは、飛び越えられるであろう30センチのハードルを探したからであり、

2メートルのハードルを飛び越えられたわけではない

 

と言っています。

 

 

自分が力を発揮できる環境に身を置く。自分なりの勝ち筋を見つける。

活きることができない環境で行き詰って、ウダウダする、足が止まるよりも。

 

さっさと環境を変える、やり方を変える。

小さくてもいいから、足を踏み出す、行動する。

 

2メートルのハードルを越えようとして、悩んで足が止まるよりも。

30cmでもいいから、低くてもいいから、ハードルを越えていったほうが

バスケも上手くなるし、力もついていくものです。